使命という言葉が、どうも事後的だなと思う。
やってみたら反応があった。お金が入った。続けた。続いたから意味を探した。その順番で出てきたものを、最初からあったことにしている。
スピリチュアルの人は「もともとある使命を探す」と言う。ビジネスの人は「ミッションを定義する」と言う。言い方は違うけれど、後から見つけたものを先にあったことにする、という点では同じだ。
実際に起きているのは、もっと単純なことだと思う。
周りの人が好意的に動いてくれる。お金を払ってくれる。その連鎖が続く。
それだけのことが、ビジネスの場では「ミッション」という、もっともらしい論理にすりかわる。
そもそも、みんな無意識に遊んでいるだけなのに。
ここで引っかかることがある。
日本語で「無意識」と言うと、だいたい「うっかり」の意味になる。無意識に手が動いた、無意識にやっていた。自覚していなかった、という程度の話になる。
そうではなくて、自分の判断の大半がそこから出てきている、という意味での無意識。それを扱う言葉が、あまり使われていない気がする。
だから「無意識に遊んでいる」と言っても、たぶん伝わらない。遊んでいる自覚がない、という話に聞こえてしまう。
そうではない。自覚がないほうが、うまくいっているという話だ。
私は、抗わないことにしている。
アイデアが出たらやる。
届かないものは畳む。
再現するものは回す。
価値が出ているものに、使命を感じる。
この順番でしか進まない。逆からやろうとすると止まる。使命から入ると出せなくなるし、分析から入ると出すものがなくなる。
ずっと、そうしてきた。
ただ、抗わないという方法そのものは、自分で見つけたものではない。北岡泰典さんに教わった。
無意識は抑えるものでも、克服するものでもない。そういう扱い方があると知って、ストレスが激減した。
無意識と意識のダンスの中に、使命らしき言葉は出てくる。
明日変わってもいいから、言葉を決める。
── 決めない人は、なにも決まらない。とは思う。