Fubuki Journal

広告から「狭告」へ——AIが連れてくる「脱マーケティング」という発想

作成者: EIJI KAKUGAWA|Jun 13, 2026 8:19:19 AM

株式会社フブキ 代表・角川

前回、私は「流動化」という補助線について書いた。AIで「作る」コストが0円に近づくと、価値は「誰でも作れるもの」と「誰にも複製できないもの」に引き裂かれていく、という話だ。今日はその続きとして、もう一つの言葉を取り上げたい。「狭告(きょうこく)」である。

「広告」ではなく「狭告」という言葉がある

広告(こうこく)に対して、狭告(きょうこく)という言葉が、以前からマーケティングの世界には存在する。

狭告とは、広く全員に告げるのではなく、本当に必要としている特定の少数に向けて、コンセプトを明確にして届けるコミュニケーションのことだ。

「広く告げる」のが広告なら、「狭めて告げる」のが狭告。一字違いだが、向いている方向は正反対だ。そして私は、この狭告という考え方が、前回書いた流動化と、ほとんど同じことを言っていると感じている。

なぜ広告は「広く」なったのか——それは制約の産物だった

そもそも、なぜ広告は「広く」告げるものになったのか。考えてみてほしい。

テレビ、新聞、看板の時代、企業には「誰が自社の商品を必要としているか」を特定する手段がなかった。だから、全員に向かって叫ぶしかなかった。100人に見せて99人に無視されても、1人に届けばいい——そういう壮大な無駄を前提にした仕組みが、広告だった。

広告が「広い」のは、それが優れていたからではない。誰に届けばいいかを絞り込めなかったから、全員に叫ぶしかなかった。広告の「広さ」は、技術の制約が生んだものだったのだ。

AIが、その前提を溶かす

ここで流動化の話とつながる。

AIによって、適切な相手に、適切なメッセージを届けるコストが、ほぼ0に近づいていく。誰が何を必要としているかを高い解像度で描き、その人にだけ届ける——かつては莫大なコストがかかったこの作業の制約が、いま外れつつある。

すると何が起きるか。全員に向かって叫ぶ広告は、もはや「優れた手法」ではなく、ただの無駄な摩擦になる。絞り込めるのに絞り込まず、要らない99人にまで届けてしまうことは、コストでしかない。

だから狭告は、広告の上位テクニックではない。制約が外れたときに自然に現れる、コミュニケーションの本来の姿なのだと思う。広告のほうが、制約の時代の一時的な形だったのだ。

狭告の先にある「脱マーケティング」とは

ただ、狭告にはまだ「送り手が、絞った相手に、押し込む」というニュアンスが残っている。流動化がさらに進むと、その押し込む力すら要らなくなる。私はここを「脱マーケティング」と呼びたい。

脱マーケティングとは、欲しがらせる技術をやめ、本当に価値のあるものと、それを必要とする少数のあいだにある摩擦を、ただ取り除くことだ。届けるというより、流れていくのを邪魔しない、という感覚に近い。

前回紹介したラインハーネスの作り手は、「バズらせ、欲しがらせ続ける消耗戦=ドーパミン経済にはもうお腹いっぱいだ」と語っていた。もっと欲しい、もっと欲しいと煽り続ける世界の、反対側だ。私はこれに深く共感する。ポスト・ドーパミンは、ポスト・マーケティングでもある。叫んで欲しがらせるのではなく、良いものを作り、必要な人へ静かに流す。

私が「広告会社」ではなく、PRをやってきた理由

振り返ると、私はこの四半世紀、広告の仕事をしてこなかった。やってきたのはPR(パブリック・リレーションズ)だ。

広告が「買った枠で、広く叫ぶ」ものだとすれば、PRは「関係と信頼を通じて、必要な人にちゃんと届く」ようにする仕事だ。PRはもともと、狭告にとても近い。私が長くこちらに身を置いてきたのは、たぶん、広く叫ぶことに昔からあまり気持ちよさを感じなかったからだと思う。だからこそ、いまの流れが腑に落ちる。

フブキが実践していること

この考え方を、フブキは二つの事業でそのまま形にしている。

ひとつは「Webサイト社内構築ツール(FUBUKIモジュール)」。これは価値そのものを軽くし、入口を0円に近づけることで、必要としている企業のところへ自然に流れていくようにする試みだ。広告で押し込むのではなく、流れやすくする。流動化する側の動きである。

もうひとつは「PR事業部運営代行」。広く告げるのではなく、その会社が本当に持っている価値を、それを必要とする相手に、私自身の判断で届ける。これはまさに狭告そのものだ。流動化しない、人の固有性の側である。

軽くして流す入口と、人が見極めて届ける核。この両方を持つことが、脱マーケティング時代の構えだと考えている。

脱マーケティング時代に、企業がやるべきこと

やめるべきことは、はっきりしている。全員に届けようとすること。欲しがらせようとすること。広く叫べば誰かに当たる、という発想そのものだ。

代わりにやるべきことは、三つに絞れる。

ひとつ、本当に価値のあるものを作ること。狭告も脱マーケティングも、中身が薄ければ成立しない。AIで誰もが「それなりのもの」を作れる時代だからこそ、ここが効く。

ふたつ、それを必要とする少数を、高い解像度で描くこと。「みんな」ではなく「この人」を、具体的に思い描けるかどうか。

みっつ、その人へ届くまでの摩擦を、AIで徹底的に減らすこと。広告に投じていた予算を、狭告と「良いものを作ること」へ振り替えていく。

広告の時代は、制約の時代だった。その制約をAIが溶かしているいま、私たちはようやく、広く叫ぶのをやめて、必要な人にちゃんと届ける、という当たり前に戻れる。

よくある質問(FAQ)

Q. 狭告(きょうこく)とは何ですか。

A. 広く全員に告げる「広告」に対して、本当に必要としている特定の少数に向けて、コンセプトを明確にして届けるコミュニケーションのことです。「広く告げる」のではなく「狭めて告げる」という発想です。

Q. 広告と狭告の違いは何ですか。

A. 広告は不特定多数に向けて広く発信し、多くの無視を前提に少数に当てる手法です。狭告は、届けるべき相手をあらかじめ絞り込み、その人に響くメッセージだけを届けます。AIで「誰に届けるか」を特定するコストが下がるほど、狭告が現実的になります。

Q. 脱マーケティングとは、マーケティングをやめることですか。

A. いいえ。やめるのは「広く叫んで欲しがらせる」という旧来のやり方であって、価値を人に届けるという目的は変わりません。脱マーケティングとは、欲しがらせる技術をやめ、本当に価値あるものと、それを必要とする人のあいだの摩擦を取り除く考え方です。

Q. AI時代に広告はなくなるのですか。

A. なくなるというより、役割が縮みます。広く叫ぶことが必要だったのは、誰に届けばよいか分からなかったからです。AIでそれが分かるようになると、全員に届ける広告は無駄な摩擦になり、狭告や脱マーケティングへと重心が移っていきます。

Q. 中小企業はまず何から始めればいいですか。

A. 「みんな」ではなく「本当に必要としているこの人」を具体的に描くことからです。その上で、良いものを作り、その人に届くまでの手間をAIで減らす。広告予算の一部を、狭告と中身づくりに振り替えるのが現実的な第一歩です。

著者について

角川(株式会社フブキ 代表)
1969年生まれ、広島出身。明治大学卒業後、不動産マンションデベロッパーの営業を経て、インターネットの可能性に魅せられ1999年に株式会社フブキを創業。以来四半世紀にわたり、企業のWeb・広報・PRの現場に立ち続ける。HubSpotゴールドパートナー。写真家としても活動し、これまでにアルゼンチンなどで18回の展示を開催。東京・山梨(石和温泉)・北海道(旭川)を拠点に活動中。

株式会社フブキ|https://www.fubuki.com/