Fubuki Journal
2026年05月07日

このブログ、書いては止まり、書いては止まりを、何年も繰り返してきた。
書きかけのまま放置している記事が、管理画面の中にいくつもある。途中まで書いて、続きが書けなくて、そのままになっている。完成させようとすると、途端に手が止まる。
何が悪いのか、ずっと自分の問題だと思っていた。怠惰とか、忙しさとか、優先順位のつけ方とか。
でも最近、違うかもしれない、と思い始めた。
たぶん、悪いのは、ブログという仕組みのほうだ。
ブログは、完成した記事を、時系列に並べる仕組みだ。
公開すると、その時の自分の考えが固定される。後から「やっぱり違うな」と思っても、戻って書き直すのは気が引ける。新しい記事として書き直すと、古い記事は古いままで残ってしまう。
公開には「区切り」が必要だ。途中まで書いた思考は、公開できない。3行のメモは、ブログ記事にはならない。
そして、検索順位とかPV数とか、そういうものに少し縛られる。書きながら、「これは検索されるかな」「タイトルにキーワード入れたほうがいいかな」と考え始める。考え始めると、書く手が重くなる。
これが、たぶん、続かなかった理由だと思う。
海外で、digital garden(電子の庭)という言い方が、静かに広がっているらしい。
ブログとは違う、新しい(でも実は古い)Webサイトのあり方。
簡単に言うと、こうだ。
ブログが「完成した記事の、時系列のリスト」だとすると、 digital gardenは「育ち続ける思考の、自由な置き場」になる。
書きかけでも置いておける。後から書き換えてもいい。完成しなくてもいい。タグでゆるく繋がっている。誰かに読まれるためというより、自分のために残す。
Maggie Appletonさんという人が、この考え方を広めている第一人者で、彼女のサイトを見ると「published(公開済み)」「growing(育成中)」「budding(芽生え)」「seedling(種)」のように、記事に成長段階のラベルが貼られていたりする。
種のまま置かれている記事もあれば、何年もかけて育っている記事もある。それを訪問者がふらふらと散策する。
これ、すごくいいなと思った。
たぶん、僕が書いてきたものを振り返ると、ジャンルが多すぎた。
ウェブ制作の話、HubSpotの話、合意形成の話、AIの話。それだけならまだしも、写真を撮ったり、曲を作ったり、詩を書いたり、レシピを試したりもしている。
これまで、それぞれを別の場所に出していた。会社のブログ、個人のInstagram、料理のInstagram、あちこちに分散していた。「経営者としての顔」「クリエイターとしての顔」「料理する人としての顔」を、別々に保っていた。
でも、本当の自分は、それら全部が混ざっている。朝に写真を撮って、午前中にクライアントと打ち合わせをして、昼に料理をして、午後にコードを書いて、夜に詩を書く。境目はない。
digital gardenの考え方は、その境目のなさを、そのまま受け入れてくれる気がした。
庭という比喩が、いい。
庭は、完成しない。毎日少しずつ手を入れる。雑草も生える。季節で表情が変わる。ある日急に、何年か前に植えた木が、ぐっと大きくなっていることに気づく。
ブログ記事は、書き終わった瞬間から古くなっていくものだった。庭の記事は、書き終わった後も、育ち続ける。
これは、書き手にとっても、読み手にとっても、優しい。
書き手は、完成のプレッシャーから解放される。完璧な記事を書こうとしなくていい。3行のメモも、置いておけば、いつか他の何かと結びつく。
読み手は、時系列に並んだ「最新記事」を消費する代わりに、自分の興味でふらふら散策できる。誰かが何年もかけて育ててきた思考に、偶然出会える。
これから、このブログ(という名前のままだけど)を、少しずつ庭に変えていこうと思う。
たぶん、こんなものが置かれていくと思う。
ウェブ制作の中で気づいたこと。クライアントとの対話で印象に残ったこと。HubSpotを使っていて発見したこと。AIと話していて思ったこと。合意形成の現場で見たこと。
そして、それと同じくらい、こういうものも置きたい。
朝の光が綺麗だった日のこと。最近作っていた曲のメモ。試したレシピ。読んだ本の断片。書きかけの詩。
仕事の話と、生活の話を、分けない。
なぜなら、僕にとって、それらは元から分かれていなかったから。
これは、読んでくれる人へのお願いでもあり、自分自身へのお願いでもある。
これからの記事は、完成していないかもしれない。短いかもしれない。書きかけかもしれない。後から書き換わるかもしれない。
それを、そういうものとして受け取ってもらえたら嬉しい。
ブログという完成品を期待して訪れた人には、ちょっと頼りなく見えるかもしれない。でも、庭だと思って散策してくれる人には、たぶん、これまでとは違う何かが見えるはずだ。
雑草の中に、ふと、面白い植物が育っていることがある。書きかけのメモの中に、後から振り返ると大切だったことが、混ざっていることがある。
そういう場所にしていきたい。
最後に、自分自身へのメモとして書いておく。
庭は、急いで完成させるものではない。急ごうとしないことそのものが、庭の本質かもしれない。
これまで、ブログを更新できないことに、少し罪悪感があった。「ちゃんと書かなきゃ」「定期的に出さなきゃ」と思いながら、結局出せなくて、自分を責めていた。
そういうのは、もうやめる。
書きたい時に書く。書きたくない時は書かない。書きかけのまま置いておく。後で気が向いたら書き直す。読まれなくてもいい。誰かにとって役に立たなくてもいい。
そういう気持ちで、26年やってきた仕事のことや、毎日生きていて感じることを、少しずつ庭に置いていこうと思っている。
もし気が向いたら、たまに散策しに来てください。
何かが育っているかもしれないし、何も育っていないかもしれない。
でも、そういう場所が、これからのインターネットには、少しあってもいいんじゃないかと、思っている。
角川英治 / 株式会社フブキ